「変」を感じる感度
以前、日曜日のお昼頃にやっていたテレビ番組に、身の回りの「ヘンなこと」を毎回紹介しているコーナーがありました。例えば「長さが数十メートルの国道」「車が通れない幅なのに速度制限のある道」「市民が使えない市営駐車場」など、多くは行政や地方自治に関するものだったと思います。お役所の非常識的(超常識的?)な発想や対応を糾弾する(といってはオーバーですが)番組でした。
みなさんの周りにも、このような「なんかヘン」と思うことはありませんか?例えば、
・「顧客第一主義」といいながら問い合わせの電話をたらい回しする企業、
・「ニセモノ」と知っていながら販売されるブランド米、・・・
・JRでチケットを買うとき地域によって使えるクレジットカードが異なること
・パッケージに「健康に害がある」と書いてあるのに販売が認められているタバコ
・涼しい日なのに、窓を締切ってエアコンをかけている電車
・レンガで作ったばかりなのに掘り返してアスファルトの継ぎあてだらけの歩道
・外車のデザインをそのまま真似する国産車
多くの場合、私たちは、その「被害者」であることを強く意識します。ところが、「加害者」になっているかどうかはあまり考えなくなるんですね。特に組織で働いている場合、「なにかヘン」と感じることも、「組織の利益」という大義名分にかき消されてしまうのです。このよい例が、数年前に発生した雪印乳業の事件です。最近はモラルハザードやコンプライアンスといったものを意識した研修を行う企業も増えてきましたが、こういう分野こそOJTとして上司が見本を見せるべきものだと思います。
ある和菓子製造小売業での出来事です。収益性を改善するための現状診断(コンサルティングではありません)をすることになり、まずは製造部門から診ることになりました。ちなみに、その会社の社長は和菓子店としての誇りを持っている人で、地域に数店舗お店を持ち、デパートにも出店しているような会社でした。
製造部門でまず調べるのは、製造原価です。どのぐらいのコストをかけてお菓子を作っているのかを単品ごとに分析します。コストの計算は、ざっくり言うと「原材料費」「人件費」「設備投資費」「包装費」から求めます。さて、原材料(あんこ)のコストを分析するときになって、どうも実際の原材料の使用量が、レシピから計算する使用量よりかなり少ないらしいということがわかってきました。コスト的に考えれば、少ない量で製造できるのですからもちろん喜ばしいことなのですが、味が変わってしまうはずです。そこで、製造の担当者に聞いてみました。すると、驚いたことに「店頭に出した製品を、賞味期限間近になると工場に回して、あんこを再利用するんですよ」と平然と言っていました。「そんなことして、品質は大丈夫なんですか?」「えぇ、新しいあんこと混ぜ合わせますからね。全体の量にしたらわずかなものですよ」「大丈夫なんですか?」「いままでクレームが来たことはありませんよ」「じゃ、あなたはその商品を食べるんですか?」「・・・」
この話を社長にしたところ「現場が勝手にやっていることで、私は知らない。一応注意はしておく」といっていましたが、ことの重要性をまったく感じていませんでした。
雪印の事件があったときに、まっさきにこの会社のことを思い出しました。結局、この会社は、経営難に陥って倒産したのでした(たしかに食中毒は出しませんでしたが)。
変だと思ってやり続けていることは、どこかで破綻します。それは、「ヘン」だなと感じなくなってしまう心は、商売や取引に関する鋭さまでも失ってしまうからです。
ヘンだと感じる敏感な意識を、経営者の皆さんはどうか失わないでください。
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